僕のひきこもりだった頃の日常

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僕は入学式から一週間、経った頃に学校に行かなくなった。中学生1年から母親と同室にひきこもりはじめ、そんな生活が1か月が経過した時の時だった。遂に家族の堪忍袋が破裂したらしく、床の間に呼び出されて、「お説教」が始まり、僕は黙ったまま涙を流す。話し合いじゃ、もうどうにもならないと感じたのだろう。急にむなぐらを掴まれ、2階から落とされそうになり、明日から学校へ行け!と強い口調で言われ僕の意思とは関係なく「はい」行きます。恐怖心に駆られそうのように言ってしまった。

そこから中学一年の頃の記憶はあやふやである。ゾンビのようにだらだらと、自分の意思とは関係なく学校へ行っていました。中学校2・3年になると、遅刻が増えて、行ったり行かなかったり、「消えてしまいたい」生きてる意味が見いだせないと、日記に綴っていました。

中学卒業後は、高校に進学する事がギリギリできたが、学校に行きたくないのに通うという矛盾に戸惑いどうすることもできなくなり、単位が足りなくなり自主的に退学するこになる。とりえず、働こうと思いハローワークで求人登録するが、その頃は求人に年齢制限があり、16歳の僕ができる仕事がほとんどなかった。面接を受けても適性検査に引っかかり、就職できない時期が続きました。そして、だんだん、仕事を探すことが億劫になって、結果的にひきこもりました。

それから2年経過したのですが、運よくバイトに就くことが出来るようになるが、2年目で仕事を辞める事になり、そこから8年弱ひきこもりの生活を送りました。

僕のひきこもり歴史

学力的には底辺を漂流していました。予習ではいい点が取れるだろうと自信に満ちていたが、テストを受けると醜い結果ばかりだった。学校生活は「教室」にいると、まるで赤道直下と北極点を一瞬で往復しているような感じで、冷や汗が出たりお腹が弱く何度もトイレに行ったりしていました。集団が生活に向いてない人です。ひきこもる明確なきっかけを考えてみると、ありすぎて分からない。これが本音です。

ほぼ毎日、教師からの叱責や、くだらねぇいじめなど、冤罪という理不尽な出来事が積み重なって、精神的にフラフラになって、もう外に出ないからよく寝ていました。後から脳機能障害が原因だと気づくことになりました。多くの人がも問題ないことでも僕にしてみたら、苦行でしかない。

出来ることも多いですが、環境要因や人間関係により持ち得る能力が落ちてしまい問題が起きます。「体が弱い」「感覚過敏」からくるストレスや疲労が蓄積していく、自分で自分を否定してしまう。身体の不調がつらい「もうダメだ。また同じことを繰り返してる。」どんどん否定的な思考になっていく、どうでもいいことをなんでもかんでも頭で考えてしまう。

28歳頃になって、発達障害の診断を受けてから、社会復帰に向けて動くことになります。自身の障害を隠さずに障害者就労でアルバイトを再び始める。そうして自宅を出てグループホームで生活を始めたものの、このまま低賃金で一生終わるのかと、考えてブログを再開する。

生き方が下手なら、上手く生きるようにしなければいけないと考えました。人生で起きる様々な障害物を乗り越える力を身に付ける必要がありました。もちろん、出来ない事は、人に助けてもらったり、ツールを使えばなんとか、生きていけます。まず無理に背伸びをしたり、自分のひきこもった過去や、障害を受け止められないことが問題です。

否定的な感情は世間や他人への恐怖心からそういう状態になっている面が多いと思います。どうして僕ばっかりこんな醜い目に・・・と思っているが、ハンディキャップがあればNPOや行政も含めて助け合えばいいだけのこと。

人に対して負い目があったり、障害を持ってたり、働く能力が低い人達が生きづらいならば自分の中に「恥ずかしいだとか、僕は誰の助けもいらない」そんな弱さがありました。

だから、否定的な感情を持ち続けるということはだめだと自分を受け入れないと・・・。マイナスな点を受け入れて、成長しなければ「傷ついたり」とか「立ち直れない」ことが増えてしまいます。

は、「まず仕事」ではなく、「まず、お金のからまない人間関係」に身を置いてはどうか、と提案している。ひきこもり当事者に見られる強い「正義感」を共有できる人間関係を体験することが大事だと言っているんだ。それは「親子」の関係ではなく「つながっていきたいと思えるような第三者との出会い」なんだって。ふむふむ。

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